スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

海清寺 西宮市

今回は 私の住んでいる西宮市の海清寺のご紹介です

海清寺は 西宮市役所のすぐ向かいにある禅寺です
南北朝のころ 1394年 創建された古刹です

海清寺 三門

海清寺の三門 享保2年(1717)年造立です

市役所周辺の地名は 六湛寺町 
六湛寺って どのお寺? 探しましたが 見当たりません

続きを読む...

スポンサーサイト

theme : 寺社仏閣
genre : 写真

tag : 西宮市

宝塚市玉瀬の 満福寺

宝塚の北部 切畑を越えて 家がポツンぽつんとある田んぼの中に 立派な石垣を持ったお寺があるのです
通るたびに気になっていました
とうとう 車を止めてもらって(すぐ近くの玉瀬公民館があったのです)いってきました
付近の地図です どのあたりか見てくださいね

大きな地図で見る

すごい石垣でしょう?
新しいのです 石段が見えていますが 横手にはスロープもありました
ただし そうとうな勾配で 車椅子では一寸無理ではないでしょうか

医王山満福寺 真言宗大覚寺派と彫ってあります

医王山満福寺


山間の小さな集落でこれだけのお寺 目を引きますね
さぁ どんなお寺でしょうか

全景です 右側に隣接して鳥居が見えていますね 素盞嗚命(すさのお)神社 です
昔は 神仏混交のお寺だったのですね

医王山満福寺

それにしても豪壮な石垣ですね

お寺の石段を登ったところです ここが本堂でしょうか
とりあえず お参り お参り 

満福寺
鐘楼です

鐘楼と本堂

石垣も新しいですが 本堂 鐘楼も 新しいです
比較的 最近建てられたもののようです
人の姿が見えなかったのでお聞きすることも出来ず 由緒など何も分かりません

古いお地蔵様が祭られた一角がありました

小さな石仏

一寸近づいてみましょう

といっても トリミングをしただけです
観光寺院と違って たぶん 村人の心のよりどころであるお寺や神社では バシャバシャとやるのは なぜか心苦しくて 引いてしまう私です

石垣にもお地蔵様 はめ込んでありますね
これはみな古いものですね
きっと 立て替えるときにあちらこちらにあったものを集めて ここに安置されたのだと思います

古いお地蔵様

満福寺全景です
それにしても立派ですね
この玉瀬の集落は 人口は 500人程度(国勢調査の記録) 世帯数は 132 となっています

その人数で この大きなお寺の再建 すごいことです
石垣だけでも たぶん気の遠くなるような金額でしょうね

私の大阪のお寺は 阪神大震災で被害を受けまして 再建したのですが 寄付金集めが大変だったようです
我が家にも 声がかかりました 
私も被災者でお見舞いをいただくほうでしたが 寄付させていただきました

檀家総代の家などは 100万単位の寄付だったと聞いています
それでも 本堂を再建するのがやっとで 鐘楼は建てられず 釣鐘は下においたままでした

また 近所の神社や寺も再建までずいぶんとかかりました
みな自分の家が壊れて しばらくは お寺どころではなかったという事情があったのですが・・

それが こんな人口の少ないところで この普請 
昔から信心深く そして 裕福な地域なのですね きっと 感心しきりです

満福寺全景

次回は 満福寺に隣接している素盞嗚命(すさのお)神社をご紹介しますね
こちらは 古びた趣のあるお社でしたよ

デジカメ散歩日記に掲載したものの再掲です
デジカメ散歩日記も 見てくださいね  お寺以外の所もいっぱい紹介しています

theme : 史跡・神社・仏閣
genre : 写真

四十七士の眠る寺 赤穂 花岳寺

赤穂といえば 忠臣蔵 それ以外あるのは海だけといってもいい忠臣蔵オンリーの町です

まず 四十七士のお墓のある花岳寺におまいりしましょう

JR播州赤穂駅からのMAPです


拡大地図を表示

花岳寺は 浅野長直公が常陸笠間から赤穂に所替えになったとき、浅野家の菩提寺として建てられました。
赤穂藩歴代藩主の菩提寺であり 四十七士の墓には 遺髪がおさめられていると伝えられています

山門です

花岳寺山門


もと赤穂城の塩屋惣門を 明治初年ここに移して山門としました。
現在 大石家長屋門とともに 僅かに残る元禄をしのばせる建物のひとつです

中に見えている松の木は 二代目 大石名残の松です
初代は 大石良雄(くらのすけ)が 亡き母のために植えた松で 赤穂を去る時に名残を惜しんだということから 名残の松と呼ばれていました 今は2代目の松です

花岳寺山門2


本堂です

花岳寺本堂


天井には 江戸末期の日本画の大額「竹に虎」が上げてありました

天井画


お墓は この奥にあるのです

忠義塚拝観料を払ってはいるとすぐこの忠義塚が目に付きます
義士の50回忌(1752)に建てられました
塚の後方 左手が浅野内匠頭と四十七士の墓所です
 

中央が主君浅野内匠頭 その右は大石内蔵助良雄 左は 大石主税の墓です
墓の向こうに見えているのは 宝物館です
浅野家や義士に関する宝物書物が収められています

義士の墓1


その周囲には 右側から格式順に四十七士の墓が並んでいます
これは左側です
青い花が入っている墓は ただ一人の生存者 寺坂吉右ヱ門の墓です

この墓は 義士37回忌に建てられ 遺髪がうずめられていると伝えられています

義士の墓2


水琴窟ちょっとおもしろいものを見ました
これは何だと思われますか?


水琴窟 (すいきんくつ)です
水道の蛇口のついている水琴窟  はじめてみました
なんとも・・・風情がないですね

そのほかに 義士木像館が ありました
内部は撮影禁止ですので写真はありません




大河ドラマでも 何回もされた赤穂義士ですが 大まかなところは知っていますが 義士一人一人のことは 何もしりませんでした

お寺でいただいた義士一覧表を見ると 下級武士が半分ぐらいいてました
石高で勘定する家でなく 5両3人扶持(神崎与五郎)なんて 本当に下っ端ですよ
そういう人たちが主君のあだを討ったのですね

浅野家の菩提寺というから もう少し大きい墓所と思っていました
本当に狭いところにそんなにおおきくない墓石だったのでビックリしました
始祖や先代の墓も 同じような大きさでした
浅野家は大名といっても たしか5万石 それで お墓もそんなに立派ではないのかしら?

赤穂は塩で有名ですが 元禄のころには 赤穂の塩は ブランド塩だったのですね
吉良家の領地でも 塩を作っていて その塩は赤穂のに比べて品質が落ちるので高く売れない
それをねたんでの 意地悪だったという説が有力だと聞いたことがあります
塩作りのノウハウを内匠頭に聞いたが教えてもらえなかったとか・・

こういう話は 一昨年 中国観音参りに行っていたときにバスガイドさんから聞きましたよ
年配のガイドさんでしたが 凄く歴史に詳しくて 感心しました

この記事は 9月8日にデジカメ散歩日記に書いたものの再掲です


カメラ機種名 Canon EOS Kiss Digital X
撮影日時 2007/08/19
レンズ TAMRON AF 18-200


theme : 神社めぐり
genre : 旅行

プロフィール

TOSSY

Author:TOSSY
TOSSYと一緒に 巡礼の旅を!
歴女 仏女 TOSSYです

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
訪問履歴
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。