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楠公さん 神戸湊川神社

今回は神戸湊川神社のご案内です

みなとがわ神社と読みます
JR神戸線 「神戸駅」から北へ徒歩約3分の場所にあります

湊川神社1

立派でしょう?
神戸では 湊川神社なんていわないのです
みんな 「楠公さん」と呼んでいます
さぁ な~~んでかな?

湊川神社は 楠木正成公を主神として祀ってある神社です
嗚呼忠臣楠木正成 です
ついでながら 嗚呼 よめますか?
ああ と読みます なるこではないのです
私は高校生のとき なること呼んで先輩に笑われました

楠木正成のことを大楠公(なんこう) その子正行は 小楠公と呼ばれています
で なんこうさんなのです

「初詣 どこ行く?」 「楠公さん いこか」 てな具合に使います

湊川神社2

ここで なぜ忠臣楠木正成なのか ちょっと歴史のお勉強です
歴史 嫌いな人は ↓の部分 無視してください

いま 歴女と言う言葉はやっています
歴史好きの女ですね 最近多いそうです

この間 妹とで話していて 「あんた 元祖歴女やねぇ」って言われました
そう TOSSYは 小学生の頃からの歴女です お寺にもよく行くから 佛女でもあります

湊川神社
主神 楠木正成公(大楠公)

大楠公は 後醍醐天皇の目指す親政を阻止せんとする鎌倉幕府の勢力や 武家の政権を新たに建てようとする足利尊氏と戦い この湊川の地で足利軍と戦って敗れ亡くなりました。
地元の人々は 塚を大切に守ってきました
元禄5年(1692年)水戸光圀公(黄門さん)が 忠臣大楠公の墓を建立しました
黄門さんは現地には来なかったそうですが 家臣佐々介三郎宗淳(助さん)が現場監督をしたそうです(これ ホントの話)

明治元年 明治天皇は大楠公の忠義を構成に伝えるため 神社の創建を命じられ 明治5年 湊川神社が創建されました

楠木正成公は 永仁2年(1924年)河内の国水分(大坂府千早赤阪村)の生まれで この地の豪族の出身です
幕府を倒そうとたちあがった後醍醐天皇に仕えました
後醍醐天皇は 鎌倉幕府に捕らえられ、隠岐島(島根県)に流されてしまいます

天皇が流された後も 河内の千早城で正成は戦い続けます
幕府の御家人であった足利尊氏や新田義貞も幕府打倒に動き 鎌倉幕府は倒れます

尊氏は鎌倉に入り また 武家による政事を復活させようとします
朝廷は 尊氏を反逆者とみなし 新田義貞に討伐を命じます
それから約1年間戦乱の世が続きます

延元元年(1336年)足利軍が京都を占領しますが 半月ほどで大楠公などの朝廷軍に破れ尊氏は九州に落ちます
九州で西国武士を集めた尊氏は 大軍を従えて京都に向かいます
その途中で足利軍を防ごうと考えた朝廷方は 新田義貞と楠木正成(大楠公)に 兵庫で尊氏の大軍を迎え撃つことを命じました

5月23日 大楠公は兵庫に向かって出陣し 途中 桜井の駅(大坂府三島郡島本町)で 正行公と別れ 5月25日 兵庫会下山(えげさん)に陣をはり 新田軍は和田岬に陣を取り 足利軍に備えますが 戦い破れ正成は討死し義貞は都へ逃れます

後醍醐天皇は 吉野(奈良県)に新しく朝廷を開き 京都朝廷(北朝)由の朝廷(南朝)の並立する南北朝時代が始まるのです 湊川神社HPより引用



楠木正成の紋は 菊水です

菊水紋

本殿です
KOBE ALIVE と言うイベントの会場になっていました

よさこいを神前で踊る 神様 喜んでいるでしょう びっくりしているかな

湊川神社本殿3

現在のご社殿は、戦災によって焼失したものを、昭和27年(1952年)10月24日に復興新築されたもので、様式は権現造に似ていますが、鉄筋コンクリート造で建てられており、戦後の新しい神社建築様式として代表的な建物と言われています。

御社殿には 平櫛田中柵の金色の獅子・狛犬があるそうです こんどもう一度行って見てきましょう

この間は よさこいをしていたので 後から考えてみれば参拝をしていませんでした

本殿の屋根にも菊水の紋がついています

湊川神社4

河内節の歌い手に 菊水丸がいますね
河内屋菊水丸 楠公さんの本拠地河内だから菊水なのでしょうね

神戸銘菓の瓦せんべいにも菊水紋がついています
↓は この間鉄人28号を見に行った長田の町の焼け残った古いおせんべいやさんの絵看板です
桜井の駅の子別れのシーンなのでしょうね

看板

鳥居は えらい新しいです たぶん震災後作り直されたのでしょうね
住吉さんも えベッさんも 石の鳥居はみんなまっさら(新しい)ですわ

湊川神社鳥居

境内には なんといっても楠木の大木です
兵庫県の木は クスノキです ちなみに神戸市の木は サザンカだそうです

楠公さんとは余り関係のない西宮市の木は クスノキです

湊川神社 境内から門

上で文章で書いたようなことを絵で描いてありました

「大楠公御一代記」
大楠公生涯の図

黄門さんが作ったというお墓への案内板がありました

墓所の案内図

ご墓所(ぼしょ)(国史蹟・楠木正成墓碑【ぼひ】)

大楠公及び御弟正季卿以下ご一族十六柱並びに菊池武吉卿を葬った所で、境内東南隅にひっそりとありました(国指定文化財史蹟)。

楠木正成の墓所

河内の観心寺に楠木正成公の首塚があるのです

観心寺の首塚

ということは 湊川神社には 首がないの?

ざっと 後案内しましたが 楠木正成関連は 桜井駅跡には、陸軍大将乃木希典筆「楠公父子訣別之所」の碑があります
TOSSYは ここで 嗚呼をなること呼んだのでした
嗚呼で始まる漢詩でした

元帥東郷平八郎筆「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」(明治天皇御製)の碑もあります

桜井駅跡は 大阪府三島郡島本町桜井 
最寄り駅は阪急電鉄京都線島本駅です

湊川神社へは 

■JR神戸線 「神戸駅」から北へ徒歩約3分
■阪急・阪神・山陽各電車は、「高速神戸駅」すぐ です

湊川神社アクセスマップ

観心寺は 紅葉の名所です
大阪府河内長野市です
以前に紅葉を写しにいったときの写真をアップした記事です
よろしかったら こちら どうぞ

この記事は TOSSYの「デジカメ散歩日記」からの再掲です
デジカメ散歩日記は いろいろなところのご案内です
宜しかったら 見に来てくださいね

当BLOGで使用している写真 動画の複製 無断使用 お持ち出しは ご遠慮くださいね



カメラ機種名 Canon PowerShot G10
撮影日時 2009/09/21
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theme : 史跡・神社・仏閣
genre : 写真

tag : 神社 神戸市

京都 吉田神社

京都紅葉散歩 今回は 吉田神社本宮です

吉田神社本殿

清和天皇貞観元年4月(西暦859年)中納言藤原山蔭卿(ふじはらやまかげきょう)が春日の四神を勧請(かんじょう)し平安京の鎮守神として吉田山に創建される
爾来永延元年(西暦987年)一条天皇の行幸を始め正暦2年(西暦991年)大社の一に列せられ、堀河天皇嘉承元年(西暦1107年)四度官幣に預る等、皇室の崇敬極めて厚く、殊に神職吉田兼倶が吉田神道を創設し、後土御門天皇文明16年(西暦1484年)斎場所(さいじょうしょ)大元宮(だいげんぐう)を造営してより益々隆盛加はり神道界の絶大なる権威を保持したのである
旧社領590石。吉田神社HPより引用



なかなか由緒のある神社なのですね
吉田神道というのがあるのですね 
吉田家は、近世まで神社界の総家と仰がれ、全国の神主に宗源宣旨、裁許状を授けていました
「徒然草」の吉田兼好もその一門だそうです

境内に小さな池がありました
その池に 紅葉が写りこんでいて とってもキレイでした

池の紅葉

中門です
この中に4棟の本殿がならんでいます topの写真ですね

吉田神社本宮

赤い鳥居の傍らには大きな紅葉 赤に赤 華やかですね

吉田神社鳥居


こちらは吉田神社 斎場所大元宮の鳥居です
吉田山の中腹にあります 本宮より少し上です
吉田神道の根本道場なのだそうです

吉田神社斎場所大元宮

中門です

吉田神社斎場所大元宮 中門

大元宮本殿です 国の重要文化財です
珍しい八角の建物でした 
全国の神様がまつられています

吉田神社 斎場所大元宮

紅葉がキレイでした

吉田神社の紅葉

この神社を作った中納言藤原山蔭は 料理に通じていたようです 
末社として 山蔭神社があり 料理の神様として料飲業界の信仰を集めているとか・・

お菓子の神様 林浄因命を祭った社もあるそうです
林浄因は 饅頭を日本に饅頭を持ち込んだ人で お菓子の神様です

山蔭神社


アルバム 吉田神社あといろいろな写真を アルバムに入れました
大きな写真をスライドショーで ご覧くださいね
F11でフルスクリーンにしてごらんいただくと縦位置の写真が見やすいです

それでは 写真をクリックして ご覧くださいね
別窓で 開きます




花日記「今日の花」は 毎日更新をしています  こちらもよろしければ見てくださいね

過去の記事 一覧は こちらで 見ていただけます お時間のある方は どうぞ


当BLOGで使用している写真 動画の複製 無断使用 お持ち出しは ご遠慮くださいね



カメラ機種名 Canon EOS Kiss Digital X
撮影日時 2008/12/04
レンズ TAMRON AF 18.0 -200.0 mm


theme : 史跡・神社・仏閣
genre : 写真

tag : 神社 京都

日野神社 西宮市

今日は 西宮市の日野神社のご案内です

日野神社 鳥居

日野神社は 兵庫県西宮市日野町にある小さな神社です
阪急電鉄神戸線西宮北口駅の少し大阪よりに見えるこんもりとした杜が 日野神社の杜です

子供のころから電車から見ていたのですが 初めて行ったのはく 13年前
あの大震災の2週間前でした

お正月休みに武庫川ウオーキングをしていて 杜が見えたので 行って 初詣をしました
寛永元年(1624)に建立された本殿・社殿は、平成七年の阪神大震災まで、健在でした

小さな神社で 相当古いなぁと感じました
屋根を葺き替えるために寄付を募っておられました
ウオーキング途中で立ち寄った私は 小銭しか持っていませんでした

1月17日  神社は全壊してしまいました
今も未だ再建出来ず 本堂の現状です 仮本殿です

日野神社 仮本殿

歴史は ふるいのです

神社のある土地は、古くは瓦林(河原林)荘と呼ばれ 神社の周囲は建武3年(1336年)に赤松則村の家臣・貴志義氏によって築城された瓦林城の城跡とされる その後、菅原道真の子の右馬之介を家祖とし、足利尊氏の家臣として三河から移住して来た、瓦林(河原林)氏が居城とした。北朝の康安年間(1361年~1362年)、瓦林弾正左衛門が瓦林城の鎮守として城内に日野神社を創建した。Wikipediaより引用 



河原林城址標識

今もこのあたり(阪急電車を隔てて南)は かわら林 かわらぎという地名が残っています
そして 小学校も 瓦木小学校 瓦林小学校と二つあります

周囲の森は「日野神社社叢」としてひょうごの森百選に選ばれています

日野神社社叢

標識

仮本殿の後ろに 本殿跡です
この石がご神体?

ご神体?

そしてひときわ立派なこの楠は ご神木 注連縄がしてあります
あまりにも大きくてフレームに収まらないのです

ご神木

境内のあちらこちらに 狛犬さんや お稲荷さん 苔むした祠などが 散在していました
哀れを感じます

狛犬さん ほか

通学時に見ていたころは 回りはすべて田んぼで こんもりとした杜は うっそうとしていて ここはなんだろうと思ったものです

今は周囲は宅地化され 住宅がぎっしりと建っています
でも 昔からの氏子は少なく 再建費用は 思うようには集まらない様子です

私が行ったとき 地元のお年寄りが 木陰で談笑をしておられました

境内

小さくてもいいから 早く本殿が建つといいですね

所在地  西宮市日野町188  


大きな地図で見る

theme : 史跡・神社・仏閣
genre : 写真

tag : 西宮市 神社

金比羅参り2

金比羅まいり 続きです 大門のところまで ご紹介がすみましたね

まだ見ていないひと 一つ戻ってね こちらクリックで 金比羅まいり1 へ


前日の雨が上がって ご覧のような青空になりました
お芝居見物は雨でもいいですが お参りは やはりこんなようお天気の日にしたいですね

これも日頃の心がけ な~んちゃって

青銅の大灯篭





ここで 本宮までの参道マップご紹介です

参道MAP


このマップ クリックすると大きくなります

大門をくぐって いよいよ境内に入りました こんな石畳のところもあるのです
これはケータイ写真です

ケータイ写真参道


石段もありました これは上がりきってからの撮影ですが 桜の降りしきる中 とても綺麗です
確か33段の女の厄坂だったかなぁ よく覚えていません
だって 33の厄なんて とっくに通り過ぎました

桜吹雪のの石段


石段を上がるとちょっと広いところに出ました ここまでで 431段
さくら 本当に綺麗でした

広場


ここからまた石段を上がります  振り返ると桜の向こうに山が見えました
これもケータイ写真です

ケータイ写真 眺め


上がったところ右手が書院 左に行くと本宮への参道です ここで 477段です
ここは 書院は横目で眺めただけで 本宮へと向かいます
途中で ’cafe寒椿’ がありました 今ここで 一服したら もう上がるのがいやになりそうだから お参りがすんだら ここに来ようと 先を急ぎます

大きなお社に出ました あぁ ついたと思いました でも なんだか空っぽの雰囲気です
違いました ここは旭社 天保8年建立の重要文化財です ここまで 628段です

旭社


本宮には 右手に進み 賢木(さかき)門をくぐってさらに石段を上がります

賢木門です

賢木門


もう少しです
うっそうと大きな木が並んでいます 神域という感じが本当にします
この地には 神様がおられるのね

最後の坂 御前4段坂を上がりきると 本宮です 見えてきました

最後の石段


本宮に着きました 海抜251m ここまで 785段 
御祭神は 大物主命と崇徳天皇です
農業 殖産 医薬 海上守護も神として古くから信仰を集めています

本殿は大きくて フレームに収まりません 下がると石段に落ちてしまいます

本宮


おまいりをするのにも 又急な階段です
まっすぐに立っているのが怖いほどの傾斜です 足を乗せるところが狭いのです
結婚式があるのでしょう 用意をしていました
榊が一本用意してあります お参りをする前に この榊でセルフでお払いしてくださいと言うことでした
私は 手すりを放せなくて 出来ません 高所恐怖症と言うか階段は怖いのです

この少し後 お式をしているところ 同行した友人が写していましたので借りました
お嫁さん 後姿ですが写っていますね
まさに しあわせさん こんぴらさん です

結婚式


境内で黒い式服の人を見かけましたのでお式があるのだと思っていましたが 大門までは車でこれますが 本宮まで車でこれるのかなぁと素朴な疑問です
参列の皆さん ここまで登ってこられたのかしら ・・?

本殿の左側に 絵馬堂がありました 
金比羅ふねふね ですから たくさんの船の額などが奉納されていました 
写っているボートのようなのは 堀江健一さんのマーメイド サントリーのモルツの空き缶で作ったというあれです

絵馬堂


本宮のところで 其れまで前になり後ろになって歩いてきていた中学生たちと又一緒になりました
坂出の付属中学2年生とのこと とっても元気であかるくて みんなすれ違うと気持ちの良い笑顔で挨拶をくれました

本宮と中学生


本宮からの眺めです どちらを向いて眺めているのか ちょっと分かりかねます 

本宮からの眺め



最後まで ご同行 ありがとうございました

今日はここまで お疲れ様でした

次は 帰り道 あの「CAFE 寒椿」で コーヒーと食事 そして裏参道を歩いて帰った様子です
裏参道は 石段のない椿咲く山のなかの道 神泉もある綺麗な道でしたよ ご期待くださいね

今回も デジカメ散歩日記からの再掲です

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カメラ機種名 Canon PowerShot G9
撮影日時 2008/04/11

theme : 史跡・神社・仏閣
genre : 写真

金比羅参り 1

お待たせしました 今日は 金比羅参りです

江戸時代 伊勢まいりについで人気のあった金比羅さんです
江戸の頃 旅行は自由に行くことは出来なかったのです
でも 寺社のお参りは許されたのですね

病弱や老齢で自分で行くことの出来ない人は 旅費とお賽銭を預けて 人に代わりに行ってもらうと言うこともしたのです
忙しくて 清水を空けることの出来なかった次郎長の代わりにお参りに行くのが 森の石松 ですね
「すし くいねぇ」 といったのは淀川の三十石船の上ですが・・

昔 シュラシュシュシュと 船で行った金比羅さんも 瀬戸大橋のおかげで 大阪から2時間でいけるようになりました(電車に乗っている時間です)

しあわせさん こんぴらさん


では サクラ咲く金比羅さん 皆様もご一緒に どうぞ




♪ 金比羅ふねふね お池に帆かけて  だと ずっと思っていました

どうして池がでてくるのか 考えたこともなく・・・

これ 間違って覚えていたのですよ

正しくは 

金毘羅船々
追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
まわれば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん) 
一度まわれば

金毘羅み山の 青葉のかげから キララララ
金の御幣(ごへい)の 光がチョイさしゃ
海山雲霧(うみやまくもきり) 晴れわたる 
一度まわれば

金毘羅石段
桜の真盛り(まさかり) キララララ
振袖(ふりそで)島田が サッと上る
裾(すそ)には降りくる 花の雲 
一度まわれば

阿波の殿様 蜂須賀(はちすか)さまだよ シュラシュシュシュ
私ゃあなたの そばそばそばだよ
ほんとに金毘羅大権現 
一度まわれば

お宮は金毘羅 船神(ふながみ)さまだよ キララララ
時化(しけ)でも無事だよ 雪洞(ぼんぼり)ゃ明るい
錨(いかり)を下して 遊ばんせ 
一度まわれば


では よろしければ このこんぴらさんの曲を BGMに お読みくださいね

 △マーククリックで音楽が鳴ります 

クラシックMIDI ラインムジークさんからお借りしています ありがとうございました

この歌のせいで 私は金比羅さんは 海のすぐそばと思い込んでいました
神戸の神社のように海が境内から見えると思っていたのです
思っていたよりは 内陸でしたね

金比羅さんは この歌の歌詞にもあるように 昔は 金比羅大権現といいました

権現とは 日本の神の神号の一つ。日本の神々は仏教の仏が形を変えて姿を現したものであるという本地垂迹説の考え方に基づいた神号である。

金毘羅(こんぴら)とは、薬師如来十二神将の一人、宮比羅大将。金毘羅大権現
その金比羅大権現をお祭りしたのが 金比羅宮で 琴平の金比羅宮は 全国に約600社あるの金比羅神社(こんぴらさん)の総本宮となっています Wikipediaより引用



では 講釈はこれぐらいで 杖を持って歩きましょう
石段に手すりもはありません 杖は必携 宿にも用意してありますし 下のみやげ物やでも借りることが出来ます
私は 一脚と兼用のストック持参でした

参道です 両脇には 由緒ありげな古い建物の商店が通づいています
正面に見えているん山が 象頭山(ぞうずさん) 
金比羅宮は 中腹に鎮座し、参道の石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなります

こんぴら参道


ここから 石段が始まります

石段始まり


金比羅名物 かごです くだりかごは空でした
狭い石段を横歩きで降りてくるのですね それで 石段には手すりがないのです

かご

料金皆さん このかごの料金 気になりますね 
かごは 大門(365段)まで行ってくれます ちょうど半分の道のりですね
のぼり 5300円 くだり3200円 往復6800円

この料金を高いと見るか妥当と見るか これはこの石段を登った人でないと 分からないでしょうね

ぐるっと迂回する道を参拝シャトルが 走っていますが あれでは 有名な石段脇のお土産屋の並んでいるのも見れないし・・


石段の両脇には お土産やさんが並んでいますが 登りで買う人はいないですね 荷物になりますものね 帰りのお楽しみです

石段を登る


両側のお店や 狛犬やら灯篭を見ながら登っていくとわりと楽に歩けました
一度に何十段も上がるのではなく 途中でいわば踊り場のようなのがあるのです

わき見しながら歩いているうちに 大門が見えてきました
大門まで 1年と同じ数字365段です

大門が見えてきました


大門のところに床机があり 甘酒を売っていました
ちょっと座って 甘酒をいただいて休憩しました

明治以前は 金比羅権現でしたが 明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)(太政官布告「神仏分離令」)により 祭神を大物主命になりましたが もともと、象頭山に真言宗松尾寺があり、松尾寺の守護神(鎮守)の一つとして金毘羅神が祀られていました
この金毘羅神は近世に流行神となり、金毘羅大権現として大いに繁栄したのです

この大門も 古くは 仁王門でした 
いまは 仁王さんの代わりに 随身さん (右大臣 左大臣)が門を守っておられます

大門

随身さん2 随身さん1


門をくぐれば そこは境内 もう 店は出せないのですが 参道を挟むように左右に並ぶ5軒の飴屋。大きな傘を広げた古風な姿で参拝客を迎える五人百姓は、境内での営業を唯一許された由緒あるお店です。
べっこう飴を売っていました 懐かしい味でした
時間が早いので4人しか出ていないですね

5人百姓の店


ここからが 桜も咲いていてとっても風情のある参道を歩きます

このとき いろいろと説明をしてくださったのが この方 ボランティアの案内人さんです
背中に 金比羅さんの紋を背負っておられました
70数歳だといっておられましたが 一日に4回ぐらい登られるそうです

案内人


ちょっと長くなりました では 続きは 又 書きますね

今回は 「デジカメ散歩日記」 からの再掲です デジカメ散歩日記も よろしくね

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カメラ機種名 Canon PowerShot G9
撮影日時 2008/04/11



theme : 史跡・神社・仏閣
genre : 写真

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